幻想交響曲 #50

幻想交響曲(Symphonie fantastique)作品14は、

フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)が、

1830年に作曲した、最初の交響曲

 

以下、Wikipediaより引用

原題は『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』(Épisode de la vie d'un artiste, symphonie fantastique en cinq parties)。

「恋に深く絶望しアヘンを吸った、豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので、ベルリオーズの代表作であるのみならず、初期ロマン派音楽を代表する楽曲である。

現在でもオーケストラの演奏会で頻繁に取り上げられる。

ベルリオーズ自身の失恋体験を告白することを意図した標題音楽である。

各楽章に標題が付けられるとともに、

1845年版の総譜スコアでは演奏の際には作曲家自身によって解説された

プログラム・ノートを必ず配るようにと要請している

1855年版では、コンサートでの演奏であれば、各楽章の標題が示されていればプログラムは省略可能としている)。

幻想交響曲では、作曲者の恋愛対象

ベルリオーズが恋に落ち、後に結婚したアイルランドの女優ハリエット・スミスソン)を表す旋律が、楽曲のさまざまな場面において登場する。

ベルリオーズはこの繰り返される旋律を「イデー・フィクス」(idée fixe固定観念、固定楽想などと訳す場合もある)と呼んだ。

これはリヒャルト・ワーグナーが後に用いた「ライトモティーフ」と根本的に同じ発想といえる。

「イデー・フィクス」は、曲中で変奏され変化していく。

例えば第1楽章では、主人公が彼女を想っている場面で現れ、牧歌的であるのに対して、終楽章では魔女たちの饗宴の場面で現われ、「醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏」になりE♭管クラリネットで甲高く演奏される。

この主題は、1828年ローマ大賞のために作曲したカンタータ

『エルミニー(Herminie』に登場している。

レナード・バーンスタインはこの曲を、「史上初のサイケデリック交響曲」だと述べた。

これは、この交響曲に幻覚的、幻想的な性質があり、またベルリオーズがアヘンを吸った状態で作曲した(と本人が匂わせている)ことなどによる。

曲の構成

 

曲の構成[編集]

   
 

以下の引用は、1855年版の作曲家自身のプログラムに基づく翻訳である[5]

病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞こえてくる[注 2]

第1楽章「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)[編集]

彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み[注 3]

ラルゴの序奏部とソナタ形式の主部からなる。急速な主部に入ると間もなく、フルートとヴァイオリンによって「イデー・フィクス」が奏される。ハ短調ハ長調

第2楽章「舞踏会」 (Un bal)[編集]

とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う[注 4]

フルートとオーボエによる「イデー・フィクス」の旋律が随所に現れるワルツの楽章である。最後はテンポを速めて華やかに終わる。複数のハープが華やかな色彩を添える。イ長調

第3楽章「野の風景」 (Scène aux champs)[編集]

ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……[注 5]

羊飼いの吹く Ranz des vaches はアルプス地方の牧歌(牛追い歌。ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲の第3部参照)。コーラングレイングリッシュホルン)と舞台裏のオーボエによって演奏される。この楽章の主要旋律(20小節目からフルートと第1ヴァイオリンとで奏される)は、破棄するつもりだった自作『荘厳ミサ』のGratias agimus tibiや、未完の歌曲 Je vais donc quitter pour jamais, H6(ジャン=ピエール・クラリス・ド・フロリアンの詩による)でも使用されている。最後に、コーラングレによる牧歌が奏されると、4個のティンパニが遠くの雷鳴を奏し、静かに終わる。 ヘ長調

第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)[編集]

彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる[注 6]

1845年版のプログラムでは、ここでアヘンを飲んで夢を見ることになっている。低弦、大太鼓、ホルンによって行進曲が開始される。「イデー・フィクス」は、最後にほんのわずか現れるが、全オーケストラによってかき消されてしまう。 ト短調

第5楽章「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)[編集]

彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに[注 7]

ワルプルギスの夜の夢」と訳される事もある。弦楽器による不気味な音型で始まる。「イデー・フィクス」は、変奏されてクラリネットで奏される。鐘が鳴り、グレゴリオ聖歌怒りの日』(Dies Irae)がファゴットとオフィクレイドで奏される。弦楽器による急速なロンドとなり、フーガを交えながら、全管弦楽の咆哮のうちに圧倒的なクライマックスを築いて曲が閉じられる。また曲の終結部近くでは弓の木部で弦を叩くコル・レーニョ奏法が用いられている(弓を傷める可能性があるので高価な弓を使う奏者はそれを嫌い、スペアの安い弓をこの演奏で使うこともある)。ハ長調ハ短調ハ長調

 

ベルリオーズは、

1827年9月11日のパリ公演を見に行ってハリエット・スミスソンに一目ぼれ、

その失恋から幻想交響曲を作曲した。

と言われているが、

国際派女優だったのハリエット・スミスソン知名度を利用して、

新しい交響曲のプロモーションを行った。

という説もあるらしい。

 

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楽曲についての解説サイトは

たくさんあると思うので、

自分の感想を書いておこうと思う。

 

個人的には、この曲は、

自分の

「天才の概念」とか

「巨匠の概念」

というものを変えた曲である。

 

この曲を初めて聞いたのは

自分が大学生のころ。

 

この曲を知るまでの自分の「天才」のイメージは、

なぜか

人間性にも優れていて完璧な人間」

っていうイメージだった。

 

もちろん、

大天才のモーツァルトの性格が

何か残念だったのは知ってたけど、

なぜかそれとこれとは別だった。

 

でも、この幻想交響曲

できたきっかけとなった、

恋愛のエピソード。

 

そして、

各楽章のストーリーを知って、

その考えが変わった。

 

 

①リアル

 人気女優に一目ぼれ

   ↓

 まだあんまり売れてなくて相手にされず

   ↓

 一念発起して大曲を作曲

   ↓

 大ブレイク!!

   ↓

 彼女が振り向いてくれた!

   ↓

 結婚!!しかしその後破局

 

 

②曲の物語

 彼女に一目ぼれ

   ↓

 しかし振られる

   ↓

 彼女を恨みストーカー化

   ↓

 彼女を殺害

   ↓

 殺人の罪で自分は死刑に

   ↓

 死後地獄に落ちる

   ↓

 地獄には魔女になった彼女がいた!

 

っていう、曲はサイコーかもしれないけど、

ストーリーはサイテーで、

怖くて気持ち悪い

それが幻想交響曲

 

そんな人間の醜い感情を

余すところなく表現した、

ある意味とっても人間臭い曲。

 

凡人たちと

同じような感情も抱きながら、

素晴らしい曲が作れる。

それがベルリオーズが天才である理由。

 

人間性とは関係なく

曲が作れる。

それが天才。

 

そんな視点を持つ

きっかけを作ってくれたのが

幻想交響曲だ。

 

ちなみに、

人間臭いってところには

親近感を覚えるけど、

リアルだったら

この話に出てくる主人公みたいな人とは、

個人的には絶対付き合いたくないなあ。

とか思っちゃいます。

 

そして、

自分がモデルのこんな曲を聴いて、

恋に落ちる女性の心理も全くわからないです。

が、彼女(ハリエット・スミッソン)

も芸術家なので、

凡人にはわからない、

ビビッとくるものがあったのでしょう。

 

そんなことを思いながら

いつも幻想交響曲を聴いています。